役所は「ボケてから手を差し伸べる」

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©N係長

私も「つどい場」を運営していく中で、ワーキングプア、貧困問題と身近に接する機会が増えました。

たとえば、生活保護問題に関しても水際作戦、硫黄島作戦、ヤミの北九州方式など。当事者の方々と接する中で、教えられることが多いです。

よく話題になるのが「私たちは貧困なのか?」。ひとり親家庭のお子さんに聞かれて、言葉に窮することもありました。今でも勉強不足の自分を恥ずかしく思っております。

今回は、貧困について考えていきたいと思います。

ある識者の言葉ですが、「格差と貧困は違う」。格差社会は、本人の自己責任。格差があって何が悪いのか、という開き直りの姿勢も見えます。

一方、貧困は「あってはならない」ものという価値判断が含まれており、人道上の問題、自殺や犯罪の増加、医療費や公的扶助の増加により国の社会保険制度への信頼感の欠如。つまり、日本の社会保険制度が保てるのかという不安の情勢。こういう社会的な問題があります。

ですから、貧困問題は決して置き去りにしてはいけない問題という認識を改めて持つべきです。

「私(たち)は貧困なのか?」と問われ、困ってしまう

自分が貧困に当たるかは、貧困線を下回っているかどうかで数値の上では判断できます。厚労省の国民生活基礎調査では、2021年で年収127万。

このラインを下回ると貧困世帯。もちろん、年収や物価は諸外国によって異なるので、より詳細に定義すると「相対的貧困」世帯です。日本では2021年で相対的貧困率が15.4%。

特に、ひとり親家庭の貧困率は44.5%と極めて高い数字。金銭的にもそうですが、父娘の世帯と接していると、男親では「どうにもならない」部分が多く、

そんなお父様方のご苦労を考えると、日常生活ベースで捉えた「しんどさ」もある。数字の上では捕捉できない心理的な部分です。

家庭資源の貧しさですね。ご両親、親戚など助けてくれる身内の多さにより、お子さんの寂しさも多少はまぎれるものですが。

やや厳しい言い方をすると、国の生活保護制度は機能していない状況にあると思います。役所での水際作戦しかり。

その中で出てきたのが、2015年に施行された生活困窮者自立支援法です。第3条に定義があります。

第3条:この法律において「生活困窮者」とは、就労の状況、心身の状況、地域社会との関係性その他の事情により、現に経済的に困窮し、最低限度の生活を維持することができなくなるおそれのある者をいう。

正直、よくわかりません。自治体、福祉事務所でどのような方々を「生活困窮者」と認定し、住宅支援や就労支援をしているのか。事業が始まって以来、新規相談受付数は20数万人。生活保護の年間の新規申請も25万人ほど。

両者の区別はどこにあるのか。自立支援法では、相談支援、就労支援はともかく、一番の肝は住宅確保支援にあると思います。

以前から「第二の生活保護」として住居手当は別途支給し、支給要件も緩和すべきという主張がありました。その制度を一部体現している制度なのかなという印象です。実態は分かりませんが。

この生活困窮者も貧困世帯と同一に捉えてよいでしょう。

貧困世帯にこそアウトリーチ戦法??

生活保護受給者、生活困窮者の認定を受けて住宅手当をもらっているからと言って、支援としてもうOKとは言えません。

私自身も、ワーキングプアで精神障害者ですから、経済的支援を受けられることは良いことだと思います。

ですが、家に引きこもりがちとなり、日常生活や社会生活に支障をきたしている方が多いなという印象です。

私も肌感覚で実感していますが、貧困は社会と隔離されてしまうんです。以前のお友達関係も維持できない。恥ずかしい。低年収、生活保護受給を知られたくない。社会から一歩も二歩も引いてしまうんです。

そういう方々に社会的つながりを持ってもらうには、アウトリーチ戦法しかないと思います。子ども食堂や認知症カフェなどは利用者自身が出向かなくてはいけません。

そうではなく、支援者から非支援者の自宅に訪問し、外に連れ出す。アウトリーチ戦法しか可能性はないと考えます。

私の取り組みの一つに、生活保護受給者の70代の男性に「自転車のパンク修理の先生」役をお願いし、学習支援をしている子どもたちに教えてもらいました。

「子どもと話したのはもう何十年ぶりだ」とのこと。行政は経済的支援、つまり就労支援。早く「働かせて」「生活保護を廃止させてやる」ことしか興味がありません。

捕捉すれば、2005年から厚労省が自立支援プログラムを企画し、全国の福祉事務所にプログラム作成を促したことがあります。その中に社会生活自立支援プログラムもあったのですが、ほとんど有名無実に終わりました。

社会生活自立:社会的なつながりを回復・維持し、地域社会の一員として充実した生活を送る
こと

役所は「ボケてから手を差し伸べる」

「母親(父親)が家の外に出なくなった。もうボケてしまうんじゃないか」という市民の声はよく聞こえてきます。

高齢者の方は今さら就労支援ではなく、社会生活自立。ご近所、社会との関りをもって生き生きと暮らしてもらう。国全体としても、認知症による介護・医療費抑制にもなる。

わが西宮市では、そのようなアウトリーチ型の社会生活自立支援プログラムを実施しているのか。調べたところ、西宮市の社協の日常生活自立支援事業(認知症支援)のみヒットしました。

西宮市に社会生活自立支援プログラムは存在しないんです。すなわち、

「ボケてから支援の手を差し伸べる」。ちょっと、遅すぎませんかね。

もちろん、陰ながらやっているんだと西宮市の福祉事務所や社協は反論するかもしれませんが、「西宮市 社会生活自立支援プログラム」で検索して出てこないんですから。

興味がないということ。「ボケたら手を差し伸べる」システム。

一方、西宮市のつどい場(ボランティア団体)で、地域住民の居場所作りとしてカフェをされているのは素晴らしい。ですが、アウトリーチではなく、「あなたから来てください」というもの。

全国で求められるアウトリーチ型の、社会生活自立支援を行っているところは、西宮市では官民含めてゼロという実態が分かりました。

唯一のプログラムが、先々月に私がやった「70代生活保護受給者男性の、小学生に自転車パンクを教える講座」ぐらいなのだから。お先真っ暗です。

※活動実績は個人の肖像権の関係もあり、写真も掲載できず、なかなかUPできません。今後とも有効なプログラムなどあれば発信していくつもりです。

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