AbemaPrimeのひきこもり低レベ論争 8050問題を理解してんのかい??

主の日常生活
©N係長

アベプラ(Abema Prime)で、ひきこもり支援の討論番組を拝聴しました。

ひきこもり当事者である大橋史信さんが、番組のレギュラータレントから袋叩きにされながらも、懸命にひきこもり支援の必要性を訴えるというテイスト。

※残念ながら、大橋さんは令和6年1月にご逝去されており、ブログも開店休業状態でした。ご冥福をお祈りいたします。

番組内の大橋さんのご主張は、ひきこもり当事者、ひきこもりと一般の健常者の間で話をする機会を設けるべきだというもの。ひきこもり当事者に対する偏見などをなくしていければ、

それだけで社会に踏み出そうとする方も増えるのではないかというもの。Youtube用のショート動画で確認した限りですが。

疑問に感じたことは、ひきこもりの定義に関して、番組出演者に温度差があることです。

ひきこもり=ただ単に社会に出たくない人、という漠然としたイメージが一般にあると思います。

大橋さんはその定義の部分に関して是正していかなくては、問題の本質が見えてこないのではないか。そういうお考えもあったのではないか。

Youtubuのコメント欄にも、「ひきこもりになった経緯がそれぞれ違うんだから。一概に〇〇すべきとは言えない」という意見も。

一番、的を射ているなと思いました。

番組内でひろゆき氏は、「就業意欲があっても、働く場所がない人に対する支援の方が最優先すべき」との持論をひたすら繰り返し、大橋さんに何度も認めさせようとする。見ていて、ややずれているなという印象。

まあ彼は彼なりの番組的な立ち位置があるのでしょうが、そういう人にはもうすでにハローワークなど用意されているでしょう。

大橋さんもそのような切り返しが出来ればよかったのですが。

ですが、語るに落ちたりという部分があり、番組のサブタイトルにも8050問題が表記されているんですよね。

現在の介護問題と同じです。昔は介護など、家族でやっておけ!という状況でした。

認知症の方は少なかったし、高齢者の数も少なかったし、大家族が一般的であった昔の日本では問題にすらならなかったのです。

ですが、現在では、日本の社会構造が変わり、介護を社会でしなくてはいけなくなった。

ひきこもり問題もそうです。8050問題。実際に、親が認知症となり、ひきこもりの50代の子どもがそのお世話をする。自分の社会経済上の生活もすでに破綻している方がそんなことできるわけがなく、

子の親殺し、親の子殺しという事件がすでに起きている。認知症の親御さんがなくなり、その後、子どもさんも餓死してなくなった。そういうケースだって出てきた。

それが8050問題。こういう社会問題となってきている中、「ひきこもっているのは本人の勝手でしょ!好きでやってんだから放っておけ!」では済まなくなった。

賢者は歴史に学べと言いますが、介護問題から学ぶべきではないのか。

大橋さんとこのようなお話をするべく、HPにアクセスをしたのですが。

もう鬼籍に入られたとのこと。非常に残念です。生きづらさコンセルジュとして、相談は無料。具体的なサービスに関しては見積もりを取り、利用料金が発生するとのこと。

まあお金取るんかい!という感じですが。どんな活動にも資金は必要ですからね。とはいっても、ご本人が鬼籍に入られ、現在では活動自体がなさそうです。

ちなみに、私が行っている活動はすべてボランティアです(笑)。お金を頂くようなレベルの活動でもないので。

精神障害、発達障害などで社会で働けなくなった。ひきこもり(社会的難民)の方も、そのグループに入っている方がほとんどのような感じを持っています。

職場では、ブラック企業を代表に、長時間労働とパワハラ、職場内のいじめ。接客業ではカスハラ、悪質クレーム。

もちろん、働く個人の資質もあり、合うか合わないか。本人の能力的な部分もあるでしょう。しかし、上記のような労働問題に関する問題点が社会から当事者らを遠ざけたのではないか。

「あいつは心が弱い奴やから」「こんなことも耐えられないのか(笑)。これやから今の若い奴はww」

そうして勝ち組や負け組、格差社会をつくり、他者を打ちのめして快楽を得る連中のいいような社会となっていく。ここまでくると社会全体の病理としてメスをいれていかなくてはいけない。

このアベプラの番組を見て、ますますそういう所感を持ちました。みなさんは、どのようなご感想をお持ちになられるでしょうか。

タイトルとURLをコピーしました