「熱心な無理解者」はなぜ増え続けるの?|ひきこもり(社会的難民)支援

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先日、西宮市のひきこもりに関する講演会に参加してきました。

講演者は「ひょうご発達障害者支援センター」の主任相談員のかた。まさにプロ中のプロ。

そも「発達障害者支援センター」とはなんぞや?

発達障害者支援センターは、発達障害児(者)への支援を総合的に行うことを目的とした専門的機関です。都道府県・指定都市自ら、または、都道府県知事等が指定した社会福祉法人、特定非営利活動法人等が運営しています。

出典:国立障害者リハビリテーションセンター「発達障害者支援センターとは」

基本的にどこの都道府県にも置かれている組織らしいですが、講演者曰はく、兵庫県はもっとも充実した規模を持つ、らしいです。その割には講演中に「人手不足でひきこもり支援には手が回らない」とぼやいていましたが。

根拠法は平成17年4月施行の発達障害者支援法。その第14条に発達障害者支援センター設立の文言がありました。

今回は、講演内容とともに、昨今の社会情勢に関しても触れていきたいと思います。

ひきこもり当事者の方と「お出会い」することができました

私がもっとも感心したのは講演者の言葉選び。一言一句正確に記憶しているわけではありませんが、

「自分はひきこもりと称することに疑問を感じている。好きでひきこもっているわけではないのですから。実態を表す言葉ではないと思います」

「何度目かの接触で、ご本人様(ひきこもり当事者)に”お出会い”することができまして」

”お出会い”という言葉。さすがだなと思いました。私も講演者の方と比して、場数が足りていませんが、言葉選びには慎重です。それだけ当事者様、ご本人様にとっては、支援者はイレギュラーの存在。

ましてや、素人同然のひきこもりサポーターの中には「俺がこいつらひきこもり、ニートの連中に説教してやるんや」と鼻息荒い人間の多いこと、多いこと。

私は、当事者側の人間ですから、そこらの支援者に比べればだいぶ会ってくれるハードルは低いです。

「私も当事者でして。何かお互いに有益な情報交換が出来ればと思いまして」とか、滑舌の悪い私はむにゃむにゃ言うんです。たいていは話を聞いてくれます。

ですが、そこらの支援者に比べて言葉は慎重に選んでいます。見下すこともありません。支援者の方は「こいつらをフツーにしてやるんや!」などと仲間内でよく言っていますが、

そういう傲慢な姿勢からは不可能だと思います。「フツーにしてやる」のではなく、まず一個人として尊重し、こちら側が礼節を持って健常者同様に扱う。普通に扱うから、普通になるんだと思います。

こういう悪質な支援者を「熱心な無理解者」(佐々木正美先生の提唱した言葉)というのでしょう。

私自身も自戒を込めて常に反芻しなくては。講演者の方の”お出会い”という表現は一見奇異に見えますが、普段からそれだけ自戒し、プロの仕事に徹していることの証だと思います。

「熱心な無理解者」が増え続ける背景とは?

批判的合理主義の精神は常に必要です。しょせん、この世で得られる知識などは誤謬や偏見を全面的に免れた、絶対的に確実なものなどありはしません。

私たちの認識は誤謬、間違いを犯しうるのですから、常に批判にさらされ続けなくては。宗教のように〇〇尊師の意見を絶対視して突っ走る。情けないことに、兵庫県ではそのような事態となりましたが。

熱心な無理解者。なぜこうも増え続けるのでしょうか。

論語に「君子は党せず」という言葉があります。君子たる人物、立派な人物は仲間をかばい合いしません。批判すべきところは批判し、もちろん己にも厳しい。

ひきこもりやらニートやら、すぐに社会問題化し、協力団体・支援団体が作られ、法律に根拠法ができて、そこにビジネスが生じる。

完全なビジネスであれば淘汰されるんでしょうが、末端の構成員は無償のボランティア。定年退職後の”おあそび”です。

ビジネスとして運営している上層部はとうぜん君子たり得ませんし、ボランティア、無償協力者に対して「その言葉遣いは止めてください」と止めることができない。ここが一つ目の要因。

講演の中に出てきた言葉ですが、二つ目の要因はパブリック・スティグマ。社会全体が持つ差別や偏見。「ひきこもりしている奴なんか~」というコレです。

当事者、ご家族のみならず、行政の人間、委託を受けている民間業者、ボランティアに至るまでパブリック・スティグマの呪縛はどうしてもある。普段から意識しておかなくては拭えないでしょう。

当事者ですらそのような社会的偏見を内在化し、自分なんかダメな奴だと思い込む(セルフ・スティグマ)。

まさに負のスパイラル。

craft(家族支援プログラム)について

ひきこもり者(社会的難民)による家庭内暴力に対して、どう向き合うか。

講演の中では「家庭内のリスクを伴う行動への関り」として話者が説明されていました。①家庭内暴力②自殺念慮や自殺企図、自傷行為③親の急病や急死による(当事者の)放置、またはセルフ・ネグレクト。

こういった場合、ご家族がどう行動するか。緊急時には警察に頼ることも必要。その線引きをどうするか。特に家族支援プログラム。家族がどのように当事者と関わるのか。

行動理論に基づき、ご家族様は当事者への関わり方を変えていきましょう。コミュニケーションの仕方を変えていきましょう。米国で開発された家族支援プログラムであるcraftの活用を訴えておりました。

私はcraftにやや懐疑的であり、特に中高年ひきこもり者(社会的難民者)には労働環境の改善とともに、市営・公営住宅の提供によって実現しうる「一人でゆっくり安心して暮らせる住環境」作りこそ第一。

ですが、現実問題としてそのような施策がなされていない以上、現状ある解決プログラムを検討するしかない。そういう意味でようやっと、craftもまな板の上に乗せざるを得ないかなとも。

実際に、こういった行動療法、認知行動療法を実施しえるほどの人材が兵庫県にいるとは思えません。講演会でもネット検索しても、craftの実績や取り組みの情報がほとんど出てこない。

残念ながら、私の方で評価しきれません。もしご興味がある方がおられましたら、「ひょうご発達障害者支援センター クラフト」と検索してお問い合わせしてもよいかもしれません。

圧倒的な人手不足で機能しない行政??

最後に、講演者のお言葉を再び借用する形となりますが、

「親御さんは地域資源に頼らなくなる。はじめは行政に相談するが、何年たっても効果も上がらないし、諦めてしまう。もう第三者と合わなくなる。そういう問題もあります」

行政は完全に人手不足です。悪質な支援者を取り締まることにも積極的でないのは、人手不足だからです。猫の手も借りたい。

引き出し屋に関しても言及がありました。「仕方ない面もある」とおっしゃってました。行政が対応しきれない。対応できるほどの人材が配置されていない。他にも業務がある。ひきこもりだけじゃない。

よくここまで言い切れたなという印象を受けました。実態を知っているからこそです。ですので、仮に行政から”袖にされた”場合もあきらめないでください。

こんなのは”あるある”です。残念なことですが、お役所仕事という言葉もございます。

昨今の通り魔的犯行に対して思うこと

通り魔的犯行に対する世論の見方は浅すぎると思いますね。たとえば、ひきこもり者(社会的難民)に対しても公器も社会も想像力が乏しい。

家族への暴力や暴言、モノ壊し、ご近所トラブル、一緒に食事を取らないなどの家族回避行動、パジャマのまま。仕事に行かない。友達付き合いもなさそう。社会不参加。昼夜逆転。8050問題への不安。

よりライトな形では、世間体の悪さ。漠然とした将来への不安。例えば、高齢者ひきこもりに対しては、このままボケてしまうのでは?青年ひきこもりに対しては、部屋から出てこなくなるのでは?

中高年ひきこもりに対しては、このまま非正規で寝そべり族のような生活を続けるのでは?そのようなご不安がおありだと思います。

当事者様も「自分は世間のレールを外れて、もうこの先どうすることもできない」「社会に出ていくのが怖い」「交際や結婚もあこがれはあるが、今のままでは・・・」「食欲や性欲、社会的欲求含めて、このまま我慢し続けるのか」「何もしない生活に不安になる」

こういう状態になっても、自己責任の一言で片づけられる。お役所含む、世間の風当たりは冷たい。冷たすぎる。通り魔的犯行が起こるたびに、白い目で見られる。

誰もが社会的難民になり得る事態に対し、何らかの処方箋を用意できていない社会の方が準備不足であるという客観的視点もお持ちいただき、どうか自暴自棄にはおなりにならないで。

※私は、通り魔的犯行の被害者に対し、心からお悔やみ申し上げます。しかし、加害者側の気持ちに視点を向けず、その背景をまったく無視し、ただ厳罰だぁと叫ぶことの無意味さも指摘したいです。馬鹿の一つ覚えも、ここまで来るといい加減に聞き飽きる。

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