精神障害者「国は安楽死を認めてください」

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安楽死問題について考えたいと思います。X(ツイッター)でもたびたびトレンドに上がる「#国は安楽死を認めてください」。

私が参照した著書は、三井美奈氏の『安楽死のできる国』。2003年初版の著書。オランダ安楽死法を取り上げたものです。

安楽死推進派、反対派それぞれ関係者への取材を通じ、法制化への歴史をたどる。安楽死を考える上での入門書だと思います。本書をなぞりながら安楽死が進まない日本の問題をまとめたいと思います。

現状、安楽死を認めている国は、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクなど。

日本では安楽死は絶対反対と言う過激派の声が大きいです。直近の京都ALS患者嘱託殺人(2019年)でも、ALS患者をTVに全面的に押し出して「安楽死反対!」のシュプレヒコールを支援団体が推し進める。もはや議論さえ許されません。

身体障害者の団体(圧力団体)が来れば、日本の世論は尻すぼみしてしまう。日本では身障者に対して文句を言いにくい空気があるからです。そんな情けない日本の状況をあざ笑うかのように、

2024年11月、イギリスで、終末期の患者が死を選ぶ権利を認める法案が賛成多数で可決されました。日本と比べて雲泥の差です。

なぜ日本では言論弾圧のような閉鎖的状況が続いているのでしょうか。少し安楽死反対派の考えを整理したいと思います

医療・介護団体は「安楽死など認めれば、売上が減るじゃないか!」という商業的な生々しい主張。身障者団体は「自分たちに死ねと言うのか!」と拳を振り上げて威嚇する。安楽死が強制されるわけでもないのに、極めて不合理です。

身障者の感情的な主張の背景には、フロイトのいう「例外者」心理があるのでしょう。自分たちは先天的に障害を持って生まれてきた。自分に責任がないのだから、その償いはみんながしてくれるべきだ。

だから、自分たちの非論理的な主張も臆面なく表に出せる。自分は正義だ、特別だとする例外者心理が強い。安楽死を選べない高齢者、精神障害者に対する償いをどうするか。

そう問いかければ、口を大きくあんぐりと開ける。「恵まれないオレたちに対して、オマエは何をいってるんだ??」訳が分からないという顔を見せるのがこの身障者集団です。

日本の政治家も情けない。安楽死に関して「安楽死は票にならない。こんな難しい法案は関わりたくない。こんなところで減点したくない。医療業界の票田も失うじゃないか。身障者の反発も嫌だ」と知らんぷり。

冒頭で紹介した『安楽死のできる国』ではそういう日本の状況に突っ込みはせず、淡々とオランダの事例を紹介します。

日本では尊厳死(消極的安楽死)すら法制化されていません。しかし、オランダは違う。医療的に生かされる状態という意識昏睡下のみならず、患者の意思による安楽死を認める。

つまり積極的安楽死、医療幇助自殺と言われるものですね。たとえば、完全な痴呆状態になった場合、精神的苦痛も患者にとって耐えがたい苦痛と認め、安楽死が可能。

私はこの点が非常に重要だと思います。オランダでは精神的苦痛も身体的苦痛と同等に扱う。日本では精神障害者は「単なる怠け者。プーの連中。甘えるな」です。精神的苦痛は「本人の気のせいでしょ?」という扱い。

身障者よりも格下に扱われ、精神障害者は障害者扱いされない現状にあります。オランダは精神的苦痛も身体的苦痛と同様、耐えがたい苦痛と認めているんです。

日本と違い、オランダは自殺は地獄に落とされるというキリスト教価値観の国。本書『安楽死のできる国』でも、

安楽死運動は、キリスト教価値観と戦い、現代医学に倫理的問題を突きつけながら、『自分の意思を死の瞬間まで貫いて生きる』ことをめざして始まった。

とあります。生命の自決権の主張ですね。

日本尊厳死協会の「ご配慮をなにとぞ」という卑屈な態度と違い、オランダのそれは「もし安楽死させなければ、損害賠償や刑事訴追しますよ」と権利の主張を強く求める。

オランダでも法廷での安楽死要件から運動が始まったようです。主体性のない日本人と違い、安楽死に関する判決が出た二日後には「自発的安楽死協会」設立。医師会も引きずられるように安楽死要件に向けて声明を出す。政治的な動きとしては、

66年結成の中道左派政党の『民主66』などの躍進。キリスト教系の大政党CDAもついに80年代に連立相手として選ぶ。CDAがしかたなく政府諮問機関の国家安楽死委員会を設立。これが安楽死反対派にとって「裏目」に出ました。一気に議論が進んだのです。

82年のスホーンヘイム判決で、患者を安楽死させた医師に刑罰なしの有罪判決。嘱託殺人罪ではあるが、おとがめはしない。王立医師会も患者の自決権に比重を置くような報告書提出。そして、国家安楽死委員会は「刑法を変えよ」と勧告。ここがターニングポイントになる。

オランダ政府は90年安楽死届け出制開始。安楽死実施後、医師は約20項目の質問に答える報告書を提出する。安楽死の透明化。93年には遺体埋葬法改定案。もともと裁判所で認められていた安楽死要件を追随。これら要件を充たしていれば、違法性阻却。検察が起訴しない制度を法が認める。

ですが、また波乱が起こります。患者の要請がなくても安楽死させることを認める素地があったからだです。不可抗力と認められればOKとする。94年に健康な人の安楽死が起きました。

自殺未遂を繰り返していた50歳の女性。判決は「患者が終末期になく、その苦痛が精神的苦痛であっても耐えがたい苦痛と認める」。排泄物処理さえ人に依存し、ただ天井を見つめるだけの生。人間として尊厳ある生き方をもはやできない。そういう人たちに安楽死という救いの道を開いたわけです。

安楽死は、生命の自決権の尊重です。痴呆、ボケとなり、自分が何者かも分からないまま死を迎える。人間の尊厳を踏みにじり、ただ現代医学により生かされる日々。安楽死の法制化運動は、人間の尊厳を守るための戦い。

オランダ司法に背中を押され、世論も盛り上がります。政治家も動かざるを得ない。検察は抵抗するも、2001年に世界初の安楽死法案が通りました。嘱託殺人罪の違法性阻却ではなく、もともと犯罪としない。安楽死要件さえ満たしていれば。

他の医師とも相談するとか、いろいろとハードルはありますが、家族が反対してもOK。患者本人の意思を優先。痴呆が進んでいても、事前に希望を残して入ればOK。安楽死後、医師は自治体の検察に報告書の提出義務、その後、安楽死地域評価委員会で6週間以内に審査。

積極的安楽死は、即効睡眠剤を間者の腕に注射後、続けて筋弛緩剤を打つのが一般的とのこと。絶命には長くても45分程度。ほとんどは1~5分。一方、致死薬を飲ませる自殺ほう助では「死ねない」というハプニングも。

もし万が一、起訴された場合、自殺ほう助の方が罪が軽いので、医師としてはこちらを選びたいとか。このあたりの法制化がオランダでも甘いですね。オランダでも、結局は医師が行為主体。やんわりと断る人もいるらしいです。

その場合は、患者は医療拒否。「安楽死できないなら、絶食死する」。なんとオランダでは95年に医療契約法が施行され、患者の治療拒否権がある。医師の売上減に対する抵抗は大きく、なんと自発的安楽死協会が「絶食ガイドブック」を出版されております。

日本で安楽死法を導入する際は、医師の介在に関する制度設計を慎重に練り上げるべきでしょう。患者の命は患者自身のものです。医師のものではなく、ましてや医療費を稼ぐ玩具では決してありえないのです。

オランダで安楽死法を勝ち取った自発的安楽死協会。十分な仕事をしていると思うのですが、集会のたびに、会員は毎回執行部をつるし上げます。

会員は安らかに死ねる権利をがむしゃらに求め、今の制度では医師が同僚や地域評価委員会と長々と話し合い、安楽死させてくれない。大いに不満らしいです。

2002年発効の安楽死法では16歳以上の未成年にも安楽死の自決権を認めています。手足が動かず、排泄でさえ他人に依存。大人も子供も一緒なのだ、精神的苦痛は。その通りです。

同法律では痴呆患者でも生前の意思表明があればOK。日本も同じ路線で進むべきでしょう。

自発的安楽死協会は、高齢者の自殺権、「人生を離脱する権利」を認めよとも。高齢者が自殺薬を保持する権利の合法化を求める。提唱者の名前を取り「ドリオンの薬」。

孤独を理由に安楽死させた事件も発生。もちろん無罪判決。

「安楽死合法化は、なし崩し的に安楽死の境界が押し広げられる危険性がある」という謎の反対理論があります。患者の気持ちに寄り添った医師、そして患者自身の気持ちが尊重されているならば、杞憂に過ぎないと思います。

安楽死反対派がよく使用する「なし崩し」は単なるレトリックであり、的外れです。なし崩し理論が認められれば、すべての医療福祉、社会経済活動、日常生活活動において境界がなくなるでしょう。

たとえばクローン技術はどうでしょうか。なし崩し理論が有効であれば、とっくに「クローン人間」が誕生しているはずではないでしょうか。しっかりと規制がかかっているではありませんか。

『安楽死のできる国』ではオランダの自発的安楽死協会の会長の言葉が紹介されています。非常に含蓄の深い言葉なのでそのまま引用します。

肉体的苦痛がなければ安楽死は必要ないは誤り。自分の人生を何も出来ず、うめきながら横たわっているだけの、みじめな形で終わらせたくない、と願う人もいるのです。それは、わがままでしょうか。

一方で、「売上が減るから嫌だよ」という医師や介護業界の声は正直ですが、人間的な温かみがひとかけらもない。人間としての尊厳を保ったまま死にたい。そういう方たちの声を感情的に拒否することは同意しがたいです。

日本では76年に日本安楽死協会が発足。医師の家系で社会党代議士の太田典礼氏が中心となりました。が、「身障者を抹殺するのか」と反対派が感情論を爆発、負のレッテル張り。

身障者団体は太田氏の思想を危険視。彼らは講演会場の大学にも「脅し」をかけて回る。83年8月、日本尊厳死協会に改名。延命治療の中止や疼痛緩和のための鎮痛剤投与に主張をトーンダウン。

85年に太田氏が死亡。法制化運動からも手を引く。いまだ活動は継続しているが、尊厳死ですら法制化に至っていない。もはやレームダックです。しかし、現状は待ったなしです。

老々介護により夫(妻)がパートナーを殺害し、その後自殺する。あるいは介護疲れで両親を殺害してしまう方も。そういう状況になっても、いまだに「売上が減るのは嫌なんだよね(笑)」は通用しませんよ。

日本は一刻も早く、認知症を含め、精神的苦痛による耐えがたき辛さを認め、安楽死を医師ではなく、患者あるいは家族主体によってスムーズに行わせる。

オランダを超える、より実効的な法制度を確立し、高齢化社会の超先進国である日本が世界にお手本を示す。

日本でも『自発的安楽死協会(仮)』を設立し、安楽死法制化へ向けてワンイシューの政党を結成し、政治日程の俎上に乗せていく。その過程の中で、耐えがたき苦痛を受けている精神障害者への共感が並行して進むことを望みます。

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